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tnc.salida del sol ティンクの日の出るところ

梅の咲く頃、父の体調が急変し、桜が咲き始める頃、息を引き取りました。

その1ヶ月半はあまりにも短く、あれは現実だったのか、と思う日々です。


研究者だった父は、この春も新たに教鞭を執る準備をしていました。最期まで気丈であった姿に父らしさを感じました。

私は中学、高校、大学時代でさえ、何度も父と進路で揉めました。しかし、自分の進路で納得しています。芸術の道を進みたかった私に何度も現実を突きつけ、私の意思を確認しているのかと思いきや本気で反対している様子でした。


現実主義の父ですが海外へと目を向けるように留学を熱心に勧め、本人も語学への研鑽には惜しみなく労力を費やしていました。

しかしミュージカルや絵本をたくさん与えてくれたのも父で、サウンドオブミュージック、アニー、メリーポピンズ、クリスマスキャロル、絵本は安野光雅さんを擦り切れるほど観た事が芸術好きになった様に思えるのだけれど…。

多忙でありながらも旅行や山登りにもよく連れて行ってくれ、家の周りは自然豊かで、自ずと植物が好きになりました。

父が教えたかったのは、世の中の見方、考え方だったのではないかと思います。

広く視野を広げて、本質や真実を見極める力を養うために。


よく育てられた自負があると冗談交えて伝えると、子育て間違えたかと思った事もあったけれど、そうか。と病室で笑ってくれました。

まぁ家族ですから、美談だけではなく困った事も多々ありました。


昔、子育てを間違えたかもしれない、と一度つぶやかれた事があったのはよく覚えていて、多分進路を反対したことなのか。


父も親に進路を曲げられて大学のあった東京から岐阜に戻った人でしたから色々思うところもあったかもしれません。

父は本当は医者になりたかったけれど自分は身体が丈夫ではなく諦めたと。それを病室で言われた時、頷くだけしかできず、今思えば、お父さんはお父さんで良かったのではないかな。としっかり言葉にすれば良かった。私は私で良かったのだから。


私は会社員時代に世界をよく知り、独立してからは自分自身をよく知り…風変わりな仕事をする私の活動を父は面白がり、百貨店の催事にも嬉しそうに顔を出してくれていました。


そして、何よりも私が子供を授かった事をこの上なく喜んでくれていたと後から聞かされました。子供達も何度か病室に足を運び、痛みと戦う姿を、カッコいいと言って父を笑わせ、ある時は、おひさまの真ん中におじいちゃんの顔を描いた絵で喜ばせて。何故この絵を描いたのか聞くと、笑っていてほしいから、と。その絵をよくよく見つめ、拝んでいた父。最期まで側に置いてあり、あちらへ持って逝きました。

私が作った花束と一緒に。


その孫の習い事にも、芸事には極端にのめり込まないようにと忠告する元気のある人でしたから、最期まで頭は冴えていた様です。

結局は芸術に興味のある私に反対していたのではなく、やはり知見を広げ自らの力を蓄えて自在に生きることを勧めていたのかもしれません。私の周りの兄弟親戚にも独立した者が多く、最近の活躍ぶりを話すと、皆立派だ。と嬉しそうに頷いていたのが印象的でした。

病室ではとにかく笑わせる事を考えてネタを考えて面会に行っていました。

蔵書だった1人の佐藤愛子さん、

ああ面白かったと言って死にたいという本がありますが、それができたかな。色々と苦労のあった人生だったと思います。人生はほんとうに良い事も悪い事もある。とシンプルながらに話していたのを思い出します。


お釈迦さまが涅槃された時、弟子へ諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。と仰ったそうです。娘の持っているお釈迦様の絵本にも書いてありました。悲しむのではない。教えに私は生き続けている。


tncのロゴは父親に9年前書いてもらったものです。さらっと自然体で書いてとお願いしたけれど、自分の部屋でひとり集中していくつも候補を書いてくれました。


梅や桜も毎年、そこに咲き続けます。花が見えない間も樹木は生き続けています。

太陽は夜も朝も、そこに存在しています。


春。おひさまが暖かく身体に当たります。

嗚呼、身が引き締まる。

私は、まだまだ。何ができるだろう。

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